追い払うだけでは根本的な解決にならない。では、私たちはムクドリとどう向き合っていくべきなのだろうか。「共存」という言葉は美しいが、現実はそれほど甘くない。
福島市の追い払い作戦を指導した専門家は、「中心市街地は人間が生活をするところであり、ムクドリやカラスと共存は出来ない」と断言する。騒音、糞害、そして市民が感じる「怖い」という感情。これらを無視して、安易な共存論を唱えることはできない。
そこで、新たなパラダイムとして浮上するのが「棲み分け」という考え方だ。
これは、一方的に敵視して追い出すのではなく、被害を許容できるエリアへと誘導し、人間社会との間に適切な距離を保つという思想である。習志野市の担当者が「ムクドリをワルモノにするのでなく、共生をはかっていきたい」と語るように、彼らが都市に集まる背景には、私たち人間側の要因があることを認めるところから、この思想はスタートする。具体的には、徹底した清掃活動で衛生環境を保ちつつ、ねぐらとなり得る場所を郊外の公園などに計画的に確保し、そこへ誘導していくといった、高度な都市マネジメントが求められる。
しかし、その実現には多くの壁が立ちはだかる。 「個人でできることには限度がある」 「結局は行政を動かすしかない」 「しかし、特定地域に被害が集中した場合、他の住民との連携が難しい」 これらは、この問題に直面した多くの人が抱く、偽らざる実感だろう。
だからこそ、会津若松市が行う「追い払い機材の貸し出し」のような、市民の自発的な行動を行政が後押しする仕組みが重要になる。一人ひとりの「困った」という声を、連携した「行動」へと繋げる。その積み重ねこそが、行政を動かし、より大きな対策へと発展していく原動力となる。
ムクドリ問題は、私たち自身の生活環境をどうデザインしていくかという、私たち自身に返ってくる問題だ。 安易に餌を与えない。ゴミ出しのルールを徹底する。そして、被害があれば行政に情報を提供し、地域での対策には積極的に協力する。
都市の片隅で鳴り響くムクドリの声は、この街で生きる私たち一人ひとりに対する、当事者としての関わりを問う警鐘なのかもしれない。
(了)
【ムクドリ問題・集中連載】
▶︎ 【第1回】都市の喧騒、田園の静寂 ~あなたの知らないムクドリの真実~
▶︎ 【第2回】なぜ都市へ? ビル壁、街路樹、安全なねぐらという引力
▶︎ 【第3回】官民一体の攻防戦 ~全国自治体「ムクドリとの闘い」最前線~