大倶利伽羅広光とは?伊達家伝来の名刀の基本情報・展示履歴まとめ

目次

1. はじめに:大倶利伽羅広光とは?

数ある日本刀の中でも、その力強い彫刻と伊達家伝来という由緒で知られる名刀、「大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)」。相模国の名匠・広光の作と伝えられ、刀身に施された精緻な「倶利伽羅龍(くりからりゅう)」の彫刻がその名の由来となっています。 江戸時代を通じて仙台藩主・伊達家に長く伝来し、現在は国の重要美術品に指定されています。南北朝時代の気風と相州伝の技、そして伊達家の歴史を今に伝えるこの名刀の基本的な情報と、当サイトで紹介した展示履歴をまとめます。(※詳細解説は今後追記予定です)

2. 大倶利伽羅広光の基本情報

項目詳細
種別・指定刀 ・ 重要美術品
無銘 (伝 広光)
大倶利伽羅広光 (おおくりからひろみつ)
刀工広光 (相州)
時代南北朝時代 (14世紀中頃)
刃長67.6 cm (二尺二寸三分)
反り1.36 cm (四分五厘)
形状鎬造、庵棟、大磨上無銘
現在の状況個人所蔵(日本刀剣博物技術研究財団 管理)

※寸法は重要美術品認定時の記録に基づきます。

3. 見どころ:号の由来となった「倶利伽羅龍」

本刀最大の特徴は、刀身の表に大きく彫られた「倶利伽羅龍」です。不動明王の化身とされる龍が剣に巻き付くこの意匠は圧巻の一言。広光の師ともされる正宗や貞宗とは異なり、彫りの見事さも広光の特色とされています。 地鉄は相州伝らしい板目肌が主体で地沸がつき、刃文は直刃(すぐは)調に小乱れが交じる複雑な様相を見せると言われています。

4. 主な伝来:伊達家、そして現代へ

元和6年(1620年)、江戸城石垣修復の功により二代将軍・徳川秀忠から伊達政宗の世子・伊達忠宗へ下賜され、以降仙台伊達家の至宝として江戸藩邸などで大切に保管されてきました。 明治維新後も同家に伝わりましたが、第二次世界大戦後のある時期に伊達家を離れ、個人所蔵となりました。現在は、(一財)日本刀剣博物技術研究財団の管理のもと、大切に保管されています。

5. 大倶利伽羅広光に会える場所・展示履歴

大倶利伽羅広光は個人所蔵のため、その姿を拝見できる機会は非常に限られています。特別展などで公開される際には、当サイトでも速報をお届けしています。

【今後の展示予定】

【過去の主な展示履歴】

【注意】 展示期間や内容は変更される可能性があります。必ず主催者の公式サイト等で最新情報をご確認ください。

6. まとめ

伊達家伝来の重要美術品「大倶利伽羅広光」は、相州広光作と伝わる南北朝時代の刀です。刀身に彫られた見事な倶利伽羅龍と、伊達家由来の歴史を持つ名刀として知られています。 現在は個人所蔵ですが、特別展などで公開される機会があります。この記事では、大倶利伽羅広光の基本的な情報と近年の展示情報をまとめました。より詳細な解説は今後追記していきます。

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